イチロー選手の引退会見をみて感じたこと。
こんばんは。
イチロー選手の会見を見て感じたことを
書いていきます。
facebookのライブ映像で見たのですが
会見をしている時のイチロー選手は
何か達観しているような印象でした。
引退してこれからどうしますか?という記者の質問に対し
「純粋に楽しめる野球をしたい。」「明日もトレーニングしてるでしょうね。」
みたいな感じで答えていました。
「純粋に楽しめる。」
イチロー選手が一流のメジャーリーガーとして
背負われていた何かが詰まっている言葉だな。と思いました。
プロになれば、ファン、監督、コーチ、チームメイトからの
期待など自分のためにだけではやっていけないのだと思います。
もちろん高校野球でも同じかもしれませんがプロ選手への重圧は
想像を絶する。今の自分でははっきり言って分からなさすぎる。
色々な人とお話を聞く中で感じるのは、
学生にとっての「楽しい」と
社会人にとっての「楽しい」の定義が
違うということです。
ぼくたち学生にとっての楽しいは、
責任も何もなくただ純粋にワクワクしているだと勝手に思っています。
わりと快楽的なもの。
そして、社会人にとっての楽しいを妄想として書くのですが
きっと誰かに対して責任を果たして大変ではあるけれどやってよかったと思う。
みたいな感じであると予想しています。
イチロー選手が会見でアマチュアとプロでは大きな壁があることを言及してますが
ぼくもこの楽しさの定義から学校と社会に大きな壁を感じています。
純粋でない楽しさではなくしんどいと語っていたイチロー選手では
ありますが
「記録などは、はっきり言ってほんの小さなものでしかなく自分が記録を達成したときや、ヒットを打つときに誰かが喜ぶのを見るのが最高の喜びでした。」
と語っていました。ここが凄すぎる。
自分一人ではない。誰かが必ず携わっている。
そのことを教えてくれる言葉です。
「秤は自分の中にある。それで、自分なりにその秤を使いながら
自分の限界を見て、ちょっとそれを越えていく。ということを繰り返す。」
「遠回りをした時に、本当の自分に出会える気がする。」
就職する前にイチロー選手の会見をみる
ことができてよかったです。
イチロー選手の言葉一つ一つが
自身の野球人生を物語っていて本当にかっこよすぎる。